学校日記

5月10日(日) 母の日(出典:ウィキペディア)

公開日
2020/05/10
更新日
2020/05/10

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 アメリカでは、南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で「母の仕事の日」と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービスの活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。
 ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ・ジャービスは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる。
 アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり、最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービスは、友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。
 1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた。

 日本では、1913年に青山学院で母の日礼拝が行われた。アンナ・ジャービスから青山学院にメッセージが届き、当時青山学院にいた女性宣教師たちの熱心な働きかけで、日本で「母の日」が定着していくきっかけとなったとされる。
 1931年(昭和6年)に大日本連合婦人会が結成された。その際、同組織は皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日を「母の日」としたが、普及しなかった。
 1937年(昭和12年)5月8日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された。その後、1949年(昭和24年)ごろから、アメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。
 母の日には、カーネーション等を贈るのが一般的である。母親が健在の場合は赤いカーネーションを贈り、母親が鬼籍に入っている場合(死後)は白いカーネーションを贈ることが一般的である。