最新更新日:2024/11/22 | |
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9月3日(火)3学年 クラスの様子
上から1組、2組、3組
9月3日(火)朝の様子
おはようございます。朝の様子です。
気温は高くありませんが、湿度が高く汗がでます。 何度も繰り返しになりますが、呉羽地区は狭い道路が多いので、徒歩通学、自転車通学問わず、交通安全に気を付けて登下校して下さい。 第1回合唱コンクール実行委員会
第1回合唱コンクール実行委員会が開かれました。先生から合唱コンクールの運営の流れや委員の仕事内容について説明がありました。
シェイクアウト訓練テスト範囲発表9月2日(月) 2学年 授業の様子
上から4組、5組
9月2日(月) 2学年 授業の様子
上から1組、2組、3組
9月2日(月)3学年 クラスの様子
上から4組、5組
9月2日(月)3学年 クラスの様子
上から1組、2組、3組
9月2日(月)今日の美味しい給食
今日の給食は、
ごはん 牛乳 さばの銀紙焼き はりはり和え 冬瓜スープ 梨 です。 今日は梨の話です。呉羽は梨で有名ですね。 「長十郎にはじまり、幸水で有名に」 呉羽地区で梨の栽培がはじまったのは、明治30年代のことです。標高80mの丘陵地帯は水の便が悪く、しかも水はけがよいためすぐに干上がってしまい、稲作には不向きでした。そこで、この地区に住む土池弥次郎(どいけやじろう)が立ち上がり、呉羽の土壌に適した作物を見つけるために全国の農園を訪ね歩きました。日本梨に目をつけた弥次郎は、東京から苗を持ち帰り、自分の畑で栽培をはじめました。「長十郎」という品種は、栽培開始から数年後、たわわに実を結びました。弥次郎の成功に続けとばかりに梨畑は広がり、昭和初期には栽培面積が40haに広がりました。戦時下の強制伐採により、一時的に縮小したものの、昭和46年にはじまった米の生産調整を契機に、梨畑が飛躍的に拡大しました。その当時、まだ新しい品種だった「幸水」が全国に先がけて導入され、爽やかな甘さが市場に受け入れられて呉羽梨の名声が高まりました。 幸水、果汁が垂れてくるくらい瑞々しくておいしいですよね。そういった時は、汁をこうすいます。 梨を11時74分に食べました。すいません間違えました。12時14分でした。 「いいなし」だったので。 |
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