最新更新日:2024/07/05 | |
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校長室からの独り言5 主体的に学ぶ文化かつて田舎の子供たちは、自然の中での数多くの体験がどんな勉強よりも貴重であると、受験戦争で塾へ通う都会の子供たちと差別化していたものです。しかし、自然体験や外遊び等は、いつからか都会の子供たちの体験教室となり、普段は田舎の子供たちも都会の子供たちと同じような生活となっています。そんな時代だから、自然豊かな環境をありがたいと思って、最大限に環境を生かす人達による文化が必要なのです。利根川進さんは、大沢野小学校時代を振り返り、とにかくよく遊んだと新聞の取材で答えています。小川や田んぼで思いっきり遊んだことが、思い返すと様々な学びの基礎となったと。本校の子供たちは、池や用水での生き物、蛙やタニシ、様々な虫や魚も友達です。時間構わず、たくさんの子供たちがそれぞれの興味と関心を自然の中から見つけています。教科書だけでは学べないたくさんのことを、自然に囲まれた地域の中で遊ぶ背中は主体的に学ぶ姿があり、ノーベル賞に向かっているのかもしれません。 校長室からの独り言4 黙働清掃コロナ禍、苦肉の策として導入された面もあり、にわかに定着していった本校の黙動清掃ですが、子供たちはその中に意味を見つけていっているようです。昨年度、美化委員会が黙働清掃定着に向けて校内各所にポスターを掲示したようです。その中の一つに「何で掃除の時に静かにするのかって?心をきれいにするためさ」と記されたポスターが廊下に貼られていました。委員会の子供たちが掲示したもののようです。考え込んでいる人も簡単に描かれた素朴なポスターですが、その奥深い言葉とさらっと描かれた人物のギャップに、また心惹かれます。さらっと描かれたポスターを見ていると、小難しく意義を考える先に、「やってみたら気持ちいいよ」と言われているように感じます。一生懸命に、黙々と掃除をしていて気持ちよく感じている子供たちの、そんな“きれいな心”を大切にしたいものです。与えられたことの中に楽しみやよさ、面白さを見つけていく子供たちは天才である。ただ、言われて黙って掃除しているのではないようです。 校長室からの独り言3 国際理解、国際平和今の子供たちと、昭和の私たちとは、耳が違うことを感じる。昭和の私たちは、アルファベットの読み書きに始まり、「this is a pen」を読んだ。目から入り、ローマ字で得た知識から文字を読んだからか、発音もぎこちない。聞き取りや発音に苦労した人達は少なくなかったから、極力外国人とは話したくなかった。小学校に外国語活動が導入され、子供たちは聞いて話すを繰り返した。リズムよく、様々な生活場面の会話を、ネイティブな発音を耳に入れ、会話を繰り返すしていく。一文字ずつ目で追って読んでいこうとする昭和の子供とは、全く異なる学び方で、使えるコミュニュケーションツールとして身に付けていっていることを強く感じます。人種・国籍・文化・言語の違いを認め合い、尊重する国際理解「多文化共生社会」は、国際平和の第一歩なのです。少なくとも、外国の人を見ると一歩下がってしまうおじさんと、一歩前に出てコミュニケーションしようとする子供達とは、国際理解、国際平和を身近にしているという点では、一歩も二歩も離されているように感じます。子供たちの姿は、平和な国際社会の新しい夜明けへと導いてくれるだろうと・・。 校長室からの独り言2 「学校は楽しい?」いつの頃からか、学校は楽しいところ伝説がスタートしました。確かに、学ぶ楽しさや仲間と物事を成し遂げる楽しさ、仲間と時間を共有する楽しさ等々たくさんの楽しさがあります。しかし、仲間と学んだり遊んだり、生活を共にする中での結果として楽しい時間となるのであって、アミューズメントパークのように楽しい時間を目的とする施設とは異なります。入学当初、新鮮感も手伝い子供たちは目をキラキラさせて、「楽しかった!」と。しかし、一年、二年と時が経つうちに、なかなか楽しさを感じられない学習も出てくるだろうし、粘り強く頑張らなくてはならないこともでてきます。仲間との関係や付き合い方に悩む時もあります。そんなたくさんの勉強をしている時期なのに、単に楽しかったか否かという価値観だけで見てしまうと、たくさん悩んだり踏ん張ったりしている学びの過程を否定することになります。OECDの調査結果に、答えのない問題を子供たちに提示する割合が、日本の教育は欧米に比べて三分の一ぐらいだと出ています。答えがない、分からないということ、模索することは、素敵なことです。その過程に生きている実感、成長の喜びという楽しさがあることを教えてやりたいものです。 校長室からの独り言1 永遠の課題“あいさつ”しかし、どの地域の学校に赴任しても、同じ学校でありながら「あいさつをよくする子供たちです」という言葉と「ひとつもあいさつしない子供たちだ」という相反する意見を聞きます。教職員に子供たちのあいさつについて尋ねても、あいさつ○とあいさつ×が同数出てきます。子供たちといろいろなところですれ違うと、大きな声であいさつする子供、目を合わせて会釈する子供、すれ違いざまに小さく手を振る子供、うつむきぼそっと口を動かす子供、声が出せなくてバツが悪そうにする子供がいます。コミュニュケーションとして、しっかりと相手に伝わっている“あいさつ”かどうかといわれると半分は×です。あいさつという心のつながりをもとうとする子供の姿としては、大方○です。「あいさつ、伝わっている?」と聞く人はいません。伝わらないあいさつは、コミュニュケーションツールとしての体はなさないと言われればそれまでですが・・・。様々な人達とのつながりや関わりを感じている子供たの心の声は聞き入れてやりたいと。 |
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