最新更新日:2024/06/27 | |
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校長室からの独り言30 “今時の若者”は・・・冒頭の「今時の若者は、我慢強さや粘り強さ等の非認知能力が不足している」というのも、あくまでもイメージです。我慢が切れて犯罪を起こすのも、この時代若者に限ったことではないわけです。今時は、大人の方が堪え性がないと言われそうです。単に “今時の若者”という言葉を代名詞にしながら、今の世相が語られているのでしょう。子供たちの様子を見ると、我慢強さや粘り強さがないというのではなく、以前の子供たちと頑張り所が違うということはあるかもしれません。以前の子供たちは、大人の真似をしたがったので、大人が我慢強さや粘り強さを求めている場面に、しっかり答えていたような気がします。しかし、今時の子供は、自分のスイッチが入った時や事でしか、我慢強さや粘り強さを発揮しません。大人目線から言うと、ムラを感じたり、物足りなさを感じたりします。しかし、大人の都合に合わせないたくましさは、わがままにも見えるが自立心なのかもしれません。セカンドライフこそは自由に生きたいと願う大人たちの世相と同様に・・。 校長室からの独り言29 命の大切さ“今を大切に生きる夏休み中に命の大切さについて考えた子供たちに、始業式で、命を失わない(守る)、他人を傷つけないということに加えて、“今を大切に生きる”ことが「命を大切にする」事だと伝えました。子供たち一人一人の存在はかけがえのないものです。一人一人が自分の思いや願い、考えをしっかりともち、“今を大切に生きる”ことのできる2学期となるよう、自分の可能性を信じ挑戦すれば、必ず道が開けます。「自分を信じて飛べば、翼は後から生える」のです。素直さとひたむきをもって、自分を信じてどんどんチャレンジさせてやって下さい。“今を大切に生きる”楽しさを十分感じながら・・・・。そして、風の子らしい、大胆で前向きな足跡と成果を残しながら、生きている実感をもって・・・。 校長室からの独り言28 “ピグマリオン効果”本校のHPは、地域や家庭からの投稿を紹介できるようになっています。子供たちは、地域や家庭の中で育っています。その中で教えられたこと、自分で気がついたことを学習として、価値観や見方を広げたり、道徳心を培ったりしていきます。そんな芽やきっかけとなる瞬間が地域や家庭の中にたくさんあります。子供たちが成長する瞬間、気づきを顕在化する瞬間の子供たちのすてきな姿を互いに紹介し合い、子供たちの成長に大きな幸せと期待感をもって育てていけたらと思います。地域や家庭から学校に入る子供たちの情報は、99%悪い情報です。本校の子供たちの行動の99%が悪事では無いと思っています。「ゴーレム効果」に陥ることなく、子供たちのすてきな話をたくさん学校に入れて下さると、期待感が高まり、「ピグマリオン効果」によって加速していきます。ぜひ、満ちているはずの、ちょっといい話、地域や家庭からいただければと。 校長室からの独り言27 “お祭り”歴史一方、“お祭り”は様々な地域の生活を映し出したように、五穀豊穣や大漁、家族の安寧を願った神事は、祈りであり感謝だった元来の目的が遺産化しているのも現代かもしれません。食物の保存冷凍技術も進み、年中同じような作物や魚が並び、季節を感じなくなる程、生活が変化してきています。また、様々な地域での季節や自然、風土に左右される仕事に就く人達も減り、その地域特有のみんなの“お祭り”の事情も変わってきました。そして、“お祭り”がもつ負の歴史も地方にはかつてあったようです。暮らしに困窮した地域では、口減らしのために子供を売り払う行為が、せめて賑やかな祭りの楽しさというどさくさに気を紛れさせながら涙なからに行われたことも少なくなかったようです。いずれにせよ、“お祭り”は、人の暮らしそのものであったに違いありません。子供たちが企画する“お祭り”は、今生きている子供たちが、人との関係をつくる大切な大切な暮らしのツールとして、現代人らしく活用しているのかもしれません。今も昔も、くらしの中で一番の難題を“お祭り”が、明るい祭り囃子の調べの中で解決してくれるのかもしれません。 校長室からの独り言26 コミュニティ・スクールこの校区は、令和4年度のコミュニティ・スクール導入前から、地域の子供は地域で育てる意識が強く、地域と六葉会(PTA組織)が協力し、見守り隊等による安全指導やあいさつの習慣化、地域による数多くのスポーツ少年団の設置、地域美術連合による子供たちの展覧会企画や芸術文化と親しむ企画、子供たちの可能性を広げる「風の子 夢ひろば」の企画運営、読み聞かせや緑豊かな町づくりによる情操教育、登校班の整備やトラブルへの対応等々、地域の宝である子供たちを地域で育て育む温かな地盤があります。私たち教員は、教育のプロとして、知・徳・体バランスよく未知の世界、多くの困難を打開できる力、子供たちの資質能力育成を目指し、地域や保護者のみなさんとベクトルを合わせていきたいと思っています。 校長室からの独り言25 一人一人の“あいさつ”の存在見守り隊として、子供たちのあいさつが気になっていたので、自分から大きな声で率先してあいさつをする背中を見せようとKさんは実践されたようです。しかし、ほとんど返事がなかったり、小声での返事しか返ってこなかったりで落胆されました。思案したKさんは、子供たち一人一人の顔を見ながら、一人一人に届く声の大きさであいさつするように変えていかれたようです。そうすると、子供たち一人一人があいさつをするようになったというのです。大きな声で自分からあいさつをする子供、恥ずかしそうに頭をちょこっと下げる子供、様々ではあるが、あいさつというコミュニュケーションが始まったのです。Kさんが、登校班という集団に大きな声をかけていたあいさつを、一人一人に伝えるあいさつに変更したというのが、私たち教員にとっても目から鱗だったのです。 学校は、教室での一斉指導で子供たちに投げかければ、子供たちは聞いているという、学校の都市伝説的なシステムに甘え、一人一人にしっかりと伝えようと努力しなくなっているのではないか。集団は、一人一人の存在で成り立っているという大事なことをKさんから教えられたような気がして、職員会で勇んで教職員に話しました。今、この記事を書きながら、職員会での私は、教職員一人一人の存在を意識し伝えていたか、自問しています。 校長室からの独り言24 “夢を・・”昨年の始業式から、子供たちには“憧れられる人”になろうと呼びかけ、教職員にも子供たちが憧れる大人になろうと投げかけています。今の私たち大人は、キラキラした姿を子供たちに見せているだろうか。高度成長期の大人たちのように、大きな背中を子供たちに見せているだろうか。No.1の時代ではないのかもしれない。しかし、オンリー1として、夢を見続けられる大人として。憧れられる背中には、大きな夢を描いておきたいものである。そして、やらない、やれない言い訳を探す大人ではなく、やれる方法を探れる実行力で示せる大人になりたいと思い、ひとつ、自分に欲を出してみようかと・・・。 校長室からの独り言23 速いリズムが通り過ぎる時代!今の子供たちは、一台端末のカメラで必要な写真を撮り、自分が撮れなかったシーンは、仲間とクラウド上で共有し、それでも足りなければインターネットを介して必要な写真画像を簡単に手に入れます。そして、プレゼンソフト等を使い、写真の大きさを自由自在に変え、タイトルや本文をレイアウトしていきます。背景や文字色、文字フォントなども、簡単操作でつくりかえ見やすくしていきます。消しゴムや修正液で丁寧に消していた時代とは異なり、ディレートキーで一発消去。本当に子供たちは考えているのかと思うほど、素早く打ち込み、素早く再構成していきます。口をあんぐりして見入りながら、温もりは・・とか、無駄の中に・・とか、人の心だよ・・とか、走馬灯のように流れているはずの言葉さえも、子供たちのキーを打つスピードに追い越されていきます。速いリズムが通り過ぎる時代、子供たちには“子供の時間”にはしっかり立ち止ま欲しいものだと・・・。 校長室からの独り言22 食べるクラスは元気!おかわり自由、大食漢の子供たちが満足そうに食べている様子は、クラス全体に波及し、食する喜びを感じるさわやかで心地よい時間をつくります。特に、食欲が湧かない時期でも気持ちよく平らげる子供たちを見ていると、こちらも元気になってきます。食の時間の元気は、食後の休み時間の元気となり、仲間との関係も良好にしていくような気がします。1年生の担任の時は、給食開始時期に大食漢の6年生を派遣してもらい会食しました。食べることの楽しさを1年生の子供たちが感じれるような雰囲気づくりが大切なのです。地産の食材が豊富になったり、伝統料理が出たり、家庭では食べなくなったメニュー等も多く工夫された給食もたくさんです。給食が楽しみな子供もたくさんいます。宿題を忘れても、献立表を見てくることは忘れない子供たちもたくさんいます。そんな“食”を楽しみにできる賑やかな給食時間が、早く普通に戻ること、祈っています。 校長室からの独り言21 “しつけ”の糸は・・小学校生徒心得第一条のように、身なりを整えて親御さんにあいさつをするというスタイルは、サザエさんのカツオ君が行っていそうですが、核家族化した現在の家庭では、パジャマを着たまま歯ブラシをくわえて、「おはよう」と寝ぼけ眼でぼそっと発するのが関の山かもしれません。朝、親子がすれ違っても、あいさつひとつ聞こえないこともたくさん出てきているのではないでしょうか。そうは言っても、朝から「あいさつしられ」とガミガミ言うのもねぇ・・・。という感じでしょうか。しかし、この一言が、大きな習慣を形成したり、人間としての立ち振る舞いの基礎となったり、“しつけ”の糸となるのです。子供は、育てたいようには育たず、育てたように育つ!と言われます。“しつけ”の糸は、子供を思う親の愛情という一つ一つの行動なのです。立派なことを教え諭すということではなく、一つ一つ愛情をもってまず行動するのです。 |
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