最新更新日:2024/06/18 | |
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校長室からの独り言40 戦争と平和そんな中、「ちいちゃんのかげおくり」「一つの花」「ヒロシマのうた」等、国語教材の中に戦争教材があります。戦争背景が子供たちと遠くなり、想像の及ばない昔話となり、教材としての役割が果たせないということから、国語教材や資料として削減されていくこともあるようです。語り部の方のお話や戦中の写真やビデオ、手紙等々を使い、少しでも背景を感じながら、ちいちゃんやゆみ子等の心情に迫ろうとしています。反面、遠くなったと勘違いしていた戦争が、世界中に・・・日本にも。兵器、武器、弾薬を供給していることが、平和のためという皮肉で不可解な人間社会、風化させてはならないものを、今生きている私たちが大きな眼を開いて見極めて確実に残し続ける、考え続ける責務があるに違いありません。 校長室からの独り言39 個性!それは近年、“個性”を大切にといわれながらも、何か一つはき違えると、“変わり者”と評されてしまいます。この紙一重の境界線が大きな圧力となることもあります。リクルートファッション等は、その最たるものなのでしょう。会社には、自分らしさを伝えたいと思いながらも、和を乱していると思われれば企業の一員としての評価が落ちるのではと怯えるあまり、いつの間にか区別すら付かない同じ服装で面接の列に付くこととなります。そのうちに没個性となり、集団に合わせることに明け暮れた社畜となることもあります。仕事の場や仕事以外での場で、“個性”を自由に発揮できる表現の場をもったならば、生きがいとなるでしょう。教科の中にも、個性を発揮することを評価されるものもたくさんあります。図工や音楽、体育はもちろん、クリエーティブな発想を必要とする理数、文や言葉の言語表現の国語、仲間と道徳的価値を交流する道徳、・・・。子供たちが生きていく上で大切な大切な表現教科、個性的に楽しみたいものです。 校長室からの独り言38 2024年のスタート!!まだまだ小さい夢、大きな夢、手の届きそうな夢、力強い夢、新しい夢、ずっと大事にしている夢、そんないろいろな夢に向かって、いろいろな歩み方を楽しみ、前に進む素敵な一年になることを祈っています。世界の情勢は厳しく、決して幸せではない環境に育たなければならない国の子供たちもたくさんいます。今、夢に向かって自分の力で進むことができる幸せをかみしめながら、強く生きる使命を子供たちはもっています。2024年、“夢に向かって前進!!”です。幸多いことを心より願っています。 校長室からの独り言37 先入観!情報操作で夜遅く帰る、言葉数が少ないという事実が、全く正反対の情報が先入観となり、異なった人物評になるというのです。夜遅く帰るのが、勤勉と捉えられるのか、こそこそと捉えられるのか、1つの事実の点にもう一つの点によって異なったベクトルの線となります。子供たちの先生評もかなり先入観に左右されます。その先入観で、厳しい先生と怖い先生、同じ叱咤や懲戒でも、励ましなのか威圧なのか、教育的な意義が大きく異なってしまうのです。子供を正しく導くために、懲戒の背景にあるよりよくなって欲しいという願いを1つの事実の点にしたいものです。我が子をよりよくするために、怖くて嫌な先生という点にするのか、厳しくてよい先生という点にするのか、同じ点の情報を操作することで、我が子がよりよい見方を身に付けられるのであれば、我が子にとって得な点を選択したいものだと思う。 校長室からの独り言36 ぎりぎりの状態!職業選択は、やりがいから有給休暇や育休、リフレッシュ休暇等の福利厚生が充実しているものを若者は選ぶ傾向があるようです。仕事の時間より、仕事以外の家族や自分の時間を大切にするのです。私たちの時代の仕事の活力となる家族の存在やプライベートの充実、仕事ができる環境を支えてくれた家族への感謝等という仕事のためが一義的だった時代とは異なります。私たち教員は、日々成長する子供たちと接する特異な職場です。子供たちの成長を見ていると楽しいし、もっとこう指導しようかと仕事のスキルアップのエネルギー源になります。仕事のやりがいや充実感は、日々の生活の生きている実感なのですが・・・。そんな教育界神話も価値観が異なった今、職業選択の決め手とはなりません・・・。子供たちのキャリア教育を担う学校に、明るい未来がなかったらいけないですよね。 校長室からの独り言35 見る、観るよく見てとは、形の再現ではなく、子供たちは目に見える色や形を通してその人を見ているのです。直感的にらしさを捉え、表現しているのです。もちもちした肌合いやがちっとした量感等、子供独自の感覚で捉え、その人らしさを形に表すことができます。だから、感覚的に対象と似ているのです。目で見るのではなく、心で観るといえば言い過ぎでしょうか。剣の達人、宮本武蔵の「五輪の書」に、「観」は表面上に見える現象などではなく、その奥に潜むものを観るとして、相手の心の動きなどを感じると書いています。まさに子供たちは、見ではなく“観の目”で見ているのです。子供たちの透き通った目は、目に見える形に惑わされず、心の目でものを観ているのでしょう。よく見ましょうが形だけ観ようとしてしまう大人の指導によって、いつからか、子供たちの“観の目”か“見の目”に代わらせていることを成長と勘違いしないようにしたいものです。 校長室からの独り言34 大人への憧れ学校で仲間とのトラブルにかっときて離席する子供たちも、他所ではぐっとこらえます。学校では甘えられるだけ大きな声で騒いでいる子供たちも、空気の違いを感じ我慢をします。6年生の金沢班別自由行動の旅のような活動になると、まさに社会の一員であり、子供だからという特別なものは、交通費と入場料以外はありません。バスを乗り間違えれば、違うところに行きます。見学場所に忘れ物をしたら、自分たちで取りに行かなければなりません。至極あたりまえの社会の常識の中での生活は、不自由であると共にルール内での自由を満喫しているようにも思えます。自分で決める。決めたら進む。間違っていたら方向を変える。責任も付いてくるけど、自分で決める自由が、大人への、社会への憧れとなるに違いないだろうと子供たちの姿を見ていて思います。 校長室からの独り言33 昔の道具??に彫刻刀に至っては、安全カバー付きで手を切ることがない構造となって、刃物の類いではなくなり、安全指導の必要性もなくなっています。危険だと思うから用心して使う、怪我をしない正しい使い方をマスターするはずの便利な道具が、怪我をしない道具に進化?しているのです。怪我をしない彫刻刀を考えた人は、素晴らしいアイデアで、世の中の役にたっているから、学校ではこのような商品を活用しています。しかし、自分の命や身を守る知恵や知識をつける機会が少しずつ失われていることで、危機意識や安全な行動への意識が失われているのではと危惧しています。怪我しないように怪我しないように先回りしていることで、失敗しないように失敗しないように先回りすることで、嫌な思いや失敗の経験から人間が長い間培ってきた様々な生きる知恵が“昔の道具??となって、失われていくのではと心配になるのは、老婆心なのでしょうか。 校長室からの独り言32 “夢の道具”は・・・最近、本校のALTとの会話は、ドラえもんの「ほんやくコンニャク」を使っています。翻訳アプリですが、ほとんど日本語を話せないALTと何十年英語の授業を受けてきたが全く実にならなかった私が、ストレスなくコミュニュケーションを取れるのには、まさに夢の道具なのです。この夢の道具があると、会話したくなるから不思議です。コミュニュケーションが取れない“異人”さんではなく、“隣人”になれるのだから、素敵です。あったらいいなぁと考えていたドラえもんの夢の道具、“インスタント旅行カメラ”“無人たんさロケット”“インスタントテレビ局”は、すでに巷で使われています。まあ、子供たちがおじいちゃんやおばあちゃんになる頃、2112年には、ドラえもんが誕生するのだから、あたりまえなのかもしれません。 校長室からの独り言31 温かな心持ちに・・お別れの会松の木と正門、校舎の絶妙な配置に、この新校舎ができた時に植え込まれたのだと思い込んでいました。ですが、お別れの会を企画する子供たちと松の木の歴史について調べてみると、旧校舎の写真の中にも、この松の木が写っているではありませんか。昭和40年のアルバムの中にまだか細い、若い松の木が写っています。この松の木がいつからここに植えられたのかははっきりしなかったものの、子供たちにとっては、祖父母たちが子供の頃から児童玄関前に植えられていた木である事が分かりました。長年にわたり子供たちの登下校を見守っていた松の木に、歴史を感じると共に人とのつながりを感じていったようです。たかが松の木の撤去だと見過ごさなかった子供たちの感性は、一学期から積み上げてきた命の教育の成果であると共に、子供たちが生命に対しての畏敬の念を抱くことができる心の育ちを感じます。心優しい“風の子”たちを見守ってくれた松の木とはお別れとなりました。ひとつの命が途絶える寂しさを感じつつも、子供たちの温かな心持ちに心温かくさわやかな秋風を感じることができました。 |
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