最新更新日:2024/06/06 | |
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校長室からの独り言34 大人への憧れ学校で仲間とのトラブルにかっときて離席する子供たちも、他所ではぐっとこらえます。学校では甘えられるだけ大きな声で騒いでいる子供たちも、空気の違いを感じ我慢をします。6年生の金沢班別自由行動の旅のような活動になると、まさに社会の一員であり、子供だからという特別なものは、交通費と入場料以外はありません。バスを乗り間違えれば、違うところに行きます。見学場所に忘れ物をしたら、自分たちで取りに行かなければなりません。至極あたりまえの社会の常識の中での生活は、不自由であると共にルール内での自由を満喫しているようにも思えます。自分で決める。決めたら進む。間違っていたら方向を変える。責任も付いてくるけど、自分で決める自由が、大人への、社会への憧れとなるに違いないだろうと子供たちの姿を見ていて思います。 校長室からの独り言33 昔の道具??に彫刻刀に至っては、安全カバー付きで手を切ることがない構造となって、刃物の類いではなくなり、安全指導の必要性もなくなっています。危険だと思うから用心して使う、怪我をしない正しい使い方をマスターするはずの便利な道具が、怪我をしない道具に進化?しているのです。怪我をしない彫刻刀を考えた人は、素晴らしいアイデアで、世の中の役にたっているから、学校ではこのような商品を活用しています。しかし、自分の命や身を守る知恵や知識をつける機会が少しずつ失われていることで、危機意識や安全な行動への意識が失われているのではと危惧しています。怪我しないように怪我しないように先回りしていることで、失敗しないように失敗しないように先回りすることで、嫌な思いや失敗の経験から人間が長い間培ってきた様々な生きる知恵が“昔の道具??となって、失われていくのではと心配になるのは、老婆心なのでしょうか。 校長室からの独り言32 “夢の道具”は・・・最近、本校のALTとの会話は、ドラえもんの「ほんやくコンニャク」を使っています。翻訳アプリですが、ほとんど日本語を話せないALTと何十年英語の授業を受けてきたが全く実にならなかった私が、ストレスなくコミュニュケーションを取れるのには、まさに夢の道具なのです。この夢の道具があると、会話したくなるから不思議です。コミュニュケーションが取れない“異人”さんではなく、“隣人”になれるのだから、素敵です。あったらいいなぁと考えていたドラえもんの夢の道具、“インスタント旅行カメラ”“無人たんさロケット”“インスタントテレビ局”は、すでに巷で使われています。まあ、子供たちがおじいちゃんやおばあちゃんになる頃、2112年には、ドラえもんが誕生するのだから、あたりまえなのかもしれません。 校長室からの独り言31 温かな心持ちに・・お別れの会松の木と正門、校舎の絶妙な配置に、この新校舎ができた時に植え込まれたのだと思い込んでいました。ですが、お別れの会を企画する子供たちと松の木の歴史について調べてみると、旧校舎の写真の中にも、この松の木が写っているではありませんか。昭和40年のアルバムの中にまだか細い、若い松の木が写っています。この松の木がいつからここに植えられたのかははっきりしなかったものの、子供たちにとっては、祖父母たちが子供の頃から児童玄関前に植えられていた木である事が分かりました。長年にわたり子供たちの登下校を見守っていた松の木に、歴史を感じると共に人とのつながりを感じていったようです。たかが松の木の撤去だと見過ごさなかった子供たちの感性は、一学期から積み上げてきた命の教育の成果であると共に、子供たちが生命に対しての畏敬の念を抱くことができる心の育ちを感じます。心優しい“風の子”たちを見守ってくれた松の木とはお別れとなりました。ひとつの命が途絶える寂しさを感じつつも、子供たちの温かな心持ちに心温かくさわやかな秋風を感じることができました。 校長室からの独り言30 “今時の若者”は・・・冒頭の「今時の若者は、我慢強さや粘り強さ等の非認知能力が不足している」というのも、あくまでもイメージです。我慢が切れて犯罪を起こすのも、この時代若者に限ったことではないわけです。今時は、大人の方が堪え性がないと言われそうです。単に “今時の若者”という言葉を代名詞にしながら、今の世相が語られているのでしょう。子供たちの様子を見ると、我慢強さや粘り強さがないというのではなく、以前の子供たちと頑張り所が違うということはあるかもしれません。以前の子供たちは、大人の真似をしたがったので、大人が我慢強さや粘り強さを求めている場面に、しっかり答えていたような気がします。しかし、今時の子供は、自分のスイッチが入った時や事でしか、我慢強さや粘り強さを発揮しません。大人目線から言うと、ムラを感じたり、物足りなさを感じたりします。しかし、大人の都合に合わせないたくましさは、わがままにも見えるが自立心なのかもしれません。セカンドライフこそは自由に生きたいと願う大人たちの世相と同様に・・。 校長室からの独り言29 命の大切さ“今を大切に生きる夏休み中に命の大切さについて考えた子供たちに、始業式で、命を失わない(守る)、他人を傷つけないということに加えて、“今を大切に生きる”ことが「命を大切にする」事だと伝えました。子供たち一人一人の存在はかけがえのないものです。一人一人が自分の思いや願い、考えをしっかりともち、“今を大切に生きる”ことのできる2学期となるよう、自分の可能性を信じ挑戦すれば、必ず道が開けます。「自分を信じて飛べば、翼は後から生える」のです。素直さとひたむきをもって、自分を信じてどんどんチャレンジさせてやって下さい。“今を大切に生きる”楽しさを十分感じながら・・・・。そして、風の子らしい、大胆で前向きな足跡と成果を残しながら、生きている実感をもって・・・。 校長室からの独り言28 “ピグマリオン効果”本校のHPは、地域や家庭からの投稿を紹介できるようになっています。子供たちは、地域や家庭の中で育っています。その中で教えられたこと、自分で気がついたことを学習として、価値観や見方を広げたり、道徳心を培ったりしていきます。そんな芽やきっかけとなる瞬間が地域や家庭の中にたくさんあります。子供たちが成長する瞬間、気づきを顕在化する瞬間の子供たちのすてきな姿を互いに紹介し合い、子供たちの成長に大きな幸せと期待感をもって育てていけたらと思います。地域や家庭から学校に入る子供たちの情報は、99%悪い情報です。本校の子供たちの行動の99%が悪事では無いと思っています。「ゴーレム効果」に陥ることなく、子供たちのすてきな話をたくさん学校に入れて下さると、期待感が高まり、「ピグマリオン効果」によって加速していきます。ぜひ、満ちているはずの、ちょっといい話、地域や家庭からいただければと。 校長室からの独り言27 “お祭り”歴史一方、“お祭り”は様々な地域の生活を映し出したように、五穀豊穣や大漁、家族の安寧を願った神事は、祈りであり感謝だった元来の目的が遺産化しているのも現代かもしれません。食物の保存冷凍技術も進み、年中同じような作物や魚が並び、季節を感じなくなる程、生活が変化してきています。また、様々な地域での季節や自然、風土に左右される仕事に就く人達も減り、その地域特有のみんなの“お祭り”の事情も変わってきました。そして、“お祭り”がもつ負の歴史も地方にはかつてあったようです。暮らしに困窮した地域では、口減らしのために子供を売り払う行為が、せめて賑やかな祭りの楽しさというどさくさに気を紛れさせながら涙なからに行われたことも少なくなかったようです。いずれにせよ、“お祭り”は、人の暮らしそのものであったに違いありません。子供たちが企画する“お祭り”は、今生きている子供たちが、人との関係をつくる大切な大切な暮らしのツールとして、現代人らしく活用しているのかもしれません。今も昔も、くらしの中で一番の難題を“お祭り”が、明るい祭り囃子の調べの中で解決してくれるのかもしれません。 校長室からの独り言26 コミュニティ・スクールこの校区は、令和4年度のコミュニティ・スクール導入前から、地域の子供は地域で育てる意識が強く、地域と六葉会(PTA組織)が協力し、見守り隊等による安全指導やあいさつの習慣化、地域による数多くのスポーツ少年団の設置、地域美術連合による子供たちの展覧会企画や芸術文化と親しむ企画、子供たちの可能性を広げる「風の子 夢ひろば」の企画運営、読み聞かせや緑豊かな町づくりによる情操教育、登校班の整備やトラブルへの対応等々、地域の宝である子供たちを地域で育て育む温かな地盤があります。私たち教員は、教育のプロとして、知・徳・体バランスよく未知の世界、多くの困難を打開できる力、子供たちの資質能力育成を目指し、地域や保護者のみなさんとベクトルを合わせていきたいと思っています。 校長室からの独り言25 一人一人の“あいさつ”の存在見守り隊として、子供たちのあいさつが気になっていたので、自分から大きな声で率先してあいさつをする背中を見せようとKさんは実践されたようです。しかし、ほとんど返事がなかったり、小声での返事しか返ってこなかったりで落胆されました。思案したKさんは、子供たち一人一人の顔を見ながら、一人一人に届く声の大きさであいさつするように変えていかれたようです。そうすると、子供たち一人一人があいさつをするようになったというのです。大きな声で自分からあいさつをする子供、恥ずかしそうに頭をちょこっと下げる子供、様々ではあるが、あいさつというコミュニュケーションが始まったのです。Kさんが、登校班という集団に大きな声をかけていたあいさつを、一人一人に伝えるあいさつに変更したというのが、私たち教員にとっても目から鱗だったのです。 学校は、教室での一斉指導で子供たちに投げかければ、子供たちは聞いているという、学校の都市伝説的なシステムに甘え、一人一人にしっかりと伝えようと努力しなくなっているのではないか。集団は、一人一人の存在で成り立っているという大事なことをKさんから教えられたような気がして、職員会で勇んで教職員に話しました。今、この記事を書きながら、職員会での私は、教職員一人一人の存在を意識し伝えていたか、自問しています。 |
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