最新更新日:2024/05/17
本日:count up113
昨日:155
総数:747839
2024年度が始まりました。どうぞよろしくお願いいたします。

校長室からの独り言44   よい子、悪い子、普通の子!!

画像1 画像1
 1980年代、『欽ドン!よい子、悪い子、普通の子』というバラエティ番組があった。よい子、悪い子、普通の子の生活場面の違いをフィクション・ノンフィクション入り混ぜた視聴者の投稿でコントができるのです。特に“悪い子”は、ありそうで憎めなかったり、無駄に尖っていてコミカルに見えたり、個性的でほのぼのしてきます。今、核家族化し子供たちは一心に親の寵愛を受けていることもあり、親にとって “よい子”である子供が多くなっています。かつての様々な偉人伝の中の少年少女達のように、質問攻めで親たちを困らせたり、大人の理屈に簡単に納得しなかったり、様々なくらしの場面で、「ねえ、どうして・・?」「何で・・?」と尋ねる子供たちも、親の困っている顔を見ると引き下がっていきます。
 世界で名をはせた偉人たちは、ある種独りよがりで“悪い子”も多かったようです。納得するまで妥協しない探究心に満ちた少年少女時代は、大人にとって決して都合が“よい子”ではなかったはずです。大人にとって都合が“悪い子”は、大人にとって都合が“よい子”以上にたくさんの経験をし、たくさんの物事を感じていきます。新学習指導要領の探求的な学習、協働的な学びは、「不思議だなぁ、どうしてそうなったのか」という、問題提起から始まります。「おや不思議だな?変わったなぁ」と思ったことを自分の目で確かめ解決していこうとする、飽くなき探求する心や批判的なものの見方等、子供たちの中に存在するそんな芽を大切に大切にしていくために、先生や親にとって都合が“よい子”にしないことも大切なのかと・・。

校長室からの独り言43    大人への道を!

画像1 画像1
 74名の子供たちが巣立ちます。小学校という一番長い期間所属する学校を卒業します。入学した頃の甲高い声が、大人びた低い声に変わる子供もいます。体の成長と共に、心も大きく大きく成長し卒業します。入学した頃は、お父さんやお母さんが一番から、先生が一番、そして友達が一番となってきます。入学した頃はお母さんの手を離さなかった子供が、友達と手を携え卒業していきます。
 他の校種は座学が多いのに比べて、小学校は活動も多く教科内容も、知識以上に考え方や学び方を含めた感覚的な理解も含まれるので、一概に知識が多くてもそれだけでは太刀打ちできません。しかし、不思議だなぁという学びのスタートとなる大切な芽を小学校のうちに絶対に摘み取ってはならないのです。今年度の卒業生は、総合の学習や委員会活動の場で、たくさんのイベントを考えてきました。実現できたものもあれば、実現できなかったものもあります。しかし、こんな働きかけをしたら、学校生活がよりよくなるだろうかとか、こんな働きかけをしたら、家族や地域が仲良くなるだろうかと、学校や地域社会のことをたくさん考え、いろいろ思いを巡らせました。この経験は、地域社会への参画意識となって開花するのではと思っています。また、自分の周りに存在するたくさんの人を意識し、たくさんの人に見守られ育ってきた自身の幸せを感じ、肯定感を高め、様々な事にチャレンジできる大人への道を歩んでいってくれると信じています。

校長室からの独り言42   必要不可欠な実践!

画像1 画像1
 避難訓練での点呼、報告は大きな大きな声で行われます。その声の大きさに度肝を抜かれる1年生も多い。なぜこのような大きな声を出す必要があるのか、若手教員に問いかけたことがあります。若手教員一様に、子供たちに避難訓練の真剣さを伝えるためだと答えました。教員が訓練の大切さを背中で教えるためと思っているようです。つまり、教育者としての子供へのパフォーマンスだと思ってやっていたようです。
 しかし、大きな、大きな声を出すのは、本番のために必要不可欠な訓練なのです。火災等でグランドに子供たちが避難したときには、パトカーや消防車が素早く駆けつけてくれることが予想されます。心配された消防団や行政機関、地域や保護者、サイレンの音や人や車で騒然となるでしょう。そのために必要不可欠な点呼、報告だから、日常から非常時と同じ行動を取るよう心がける必要があるのです。小学校では、月に一回必ず避難訓練を行います。火事、地震、不審者等々状況を変えながら訓練を行い、必ず反省をし本当に実践的だったかどうか見直します。情報とたくさんの想像を巡らしながら、命を守ることを考えます。それが、子供たちと命の大切さについて考える素地となります。命の教育は、単なるパフォーマンスではなく、必要不可欠な実践なのです。

校長室からの独り言41    本物の!素敵な人に

画像1 画像1
 ある実験で、ある人物を彫刻家がつくった塑像(粘土で作った像)と3Dプリンターでつくった像と、どちらが似ていると感じるかというものがありました。どちらが似ているかであれば、凹凸一つ一つまでデーターで読み込み再現している3Dプリンターが負けることはありません。しかし、この実験は、“似ていると感じるか” という実験なのです。何度かこのHPで書いた、再現ということと重なります。ある人物を3Dプリンターが克明に再現しているに違いありません。なのに、似て見えるのは、彫刻家がつくった塑像という結果は興味深いものです。
 私たちは、人を単に形だけを捉えているのではないのかもしれません。立ち振る舞いや言葉遣い等々を含め、様々な感覚を働かせて人となりを見ているのです。その人の優しさやたくましさ、繊細さ等の人となりを含めて、その人を見ているのです。彫刻家がつくった塑像には、彫刻家が感じた人となりが表現されているから、3Dプリンターよりも似ていると感じたのかもしれません。逆に言えば、格好良さやイケメンは、見た目だけでなく、立ち振る舞いや言葉遣い等々を含め、様々な要素が複合的に関わるに違いありません。鏡を見て、見てくれだけにどれだけ時間をかけても、中身を磨かなければ、本当に格好いい人にならないのかもしれません。立ち振る舞いや言葉遣い等の自分磨きが、本物の素敵な人になる近道に違いありません。

校長室からの独り言40   戦争と平和

画像1 画像1
 戦中、多くの画家が戦争の記録を描くために戦地に赴いていたようです。その絵は、カメラのファインダーを通して見たものよりも、画家の心を通して感じたことが表現され写真以上に悲惨さを物語ったと言われます。未だにその悲惨な情景が反日感情や被害者遺族への配慮から公開できずに、美術館に仕舞われているものもあるようです。戦後の約80年の間に、日本は経済的復興を遂げ、当時口にすることができなかった、戦地に赴く人々、そして残される家族の悲しみや苦しみも、国家や国政への不満や意見も訴えることができる平和な時を日本人は迎えています。
 そんな中、「ちいちゃんのかげおくり」「一つの花」「ヒロシマのうた」等、国語教材の中に戦争教材があります。戦争背景が子供たちと遠くなり、想像の及ばない昔話となり、教材としての役割が果たせないということから、国語教材や資料として削減されていくこともあるようです。語り部の方のお話や戦中の写真やビデオ、手紙等々を使い、少しでも背景を感じながら、ちいちゃんやゆみ子等の心情に迫ろうとしています。反面、遠くなったと勘違いしていた戦争が、世界中に・・・日本にも。兵器、武器、弾薬を供給していることが、平和のためという皮肉で不可解な人間社会、風化させてはならないものを、今生きている私たちが大きな眼を開いて見極めて確実に残し続ける、考え続ける責務があるに違いありません。

校長室からの独り言39    個性!それは

画像1 画像1
 西洋絵画の発達を見ると、カメラの存在が大きく絡んできます。印象派の絵画は、まさにカメラの発明によって、カメラが得意とする単なる再現ではなく、絵画だからできる表現を模索し始めるのです。目的を、再現することから表現することにシフトした絵画表現は、印象派の時代から“個性”という大きなものが前面に打ち出されてきます。今では、あたりまえに使われる“個性”が絵画表現でスタートしたのは、ほんの150年程前なのです。
 近年、“個性”を大切にといわれながらも、何か一つはき違えると、“変わり者”と評されてしまいます。この紙一重の境界線が大きな圧力となることもあります。リクルートファッション等は、その最たるものなのでしょう。会社には、自分らしさを伝えたいと思いながらも、和を乱していると思われれば企業の一員としての評価が落ちるのではと怯えるあまり、いつの間にか区別すら付かない同じ服装で面接の列に付くこととなります。そのうちに没個性となり、集団に合わせることに明け暮れた社畜となることもあります。仕事の場や仕事以外での場で、“個性”を自由に発揮できる表現の場をもったならば、生きがいとなるでしょう。教科の中にも、個性を発揮することを評価されるものもたくさんあります。図工や音楽、体育はもちろん、クリエーティブな発想を必要とする理数、文や言葉の言語表現の国語、仲間と道徳的価値を交流する道徳、・・・。子供たちが生きていく上で大切な大切な表現教科、個性的に楽しみたいものです。

校長室からの独り言38  2024年のスタート!!

画像1 画像1
 2024年がスタートしました。一昨年、川除選手の講演会で全校にいただいた言葉、“夢に向かって前進!!”がしっかりとした確かな歩みとなるために、始業式には様々な歩み方を投げかけます。それぞれの学年に併せて、夢に向かう途中経過を楽しみながら歩んでくれたらと願っています。真っ直ぐに夢に到達するのも人生です。回り道を楽しみながら、ゆっくりと到達するのも人生です。夢に挫折し、新たな夢を歩むのも人生。夢を支えに生きるのも人生・・・。
 まだまだ小さい夢、大きな夢、手の届きそうな夢、力強い夢、新しい夢、ずっと大事にしている夢、そんないろいろな夢に向かって、いろいろな歩み方を楽しみ、前に進む素敵な一年になることを祈っています。世界の情勢は厳しく、決して幸せではない環境に育たなければならない国の子供たちもたくさんいます。今、夢に向かって自分の力で進むことができる幸せをかみしめながら、強く生きる使命を子供たちはもっています。2024年、“夢に向かって前進!!”です。幸多いことを心より願っています。

校長室からの独り言37   先入観!情報操作で

画像1 画像1
 人の先入観について、以前マスコミで行った実験です。夜遅くに自宅へ帰る、近所付き合いのないご主人について、近所の人に正反対の2つの情報を流したときの反応の違いについてです。仕事の成果から世界的に優秀な賞を受けたようだと情報を流し、近所の人に人柄を尋ねたら、勤勉で夜遅くまで仕事に勤しんでおられる誠実な人だと。そして、言葉少なで奥ゆかしい・・・と人柄を評しています。反対に、犯罪者であるという情報を流してから人柄を尋ねると、夜もこそこそとしていて、あいさつをしても目を背ける感じで・・・と、まさに絵に描いたような悪人となります。
 夜遅く帰る、言葉数が少ないという事実が、全く正反対の情報が先入観となり、異なった人物評になるというのです。夜遅く帰るのが、勤勉と捉えられるのか、こそこそと捉えられるのか、1つの事実の点にもう一つの点によって異なったベクトルの線となります。子供たちの先生評もかなり先入観に左右されます。その先入観で、厳しい先生と怖い先生、同じ叱咤や懲戒でも、励ましなのか威圧なのか、教育的な意義が大きく異なってしまうのです。子供を正しく導くために、懲戒の背景にあるよりよくなって欲しいという願いを1つの事実の点にしたいものです。我が子をよりよくするために、怖くて嫌な先生という点にするのか、厳しくてよい先生という点にするのか、同じ点の情報を操作することで、我が子がよりよい見方を身に付けられるのであれば、我が子にとって得な点を選択したいものだと思う。

校長室からの独り言36    ぎりぎりの状態!

画像1 画像1
 経済協力開発機構(OECD)が、日本の教員給与が加盟国の平均を下回ったとする報告書を発表しました。待遇面への戦略的投資によって教職の魅力を高めるべきだとの指摘です。近年日本では公立学校教員の採用試験の受験者数が減少し続けています。富山県は教育県でありながら、そのワーストの先頭を走っています。対策として、富山の魅力、富山の教員の魅力を県外の大学に発信したり、現役教員の生の声を伝えたり、かなり前から苦労しているようです。そして、やっと富山大学に教育学部も復活しました。しかし、教員離れに歯止めがかからず、再任用等の形で、退職した教員たちによって、ギリギリ数が合わせられているのが現状なのです。
 職業選択は、やりがいから有給休暇や育休、リフレッシュ休暇等の福利厚生が充実しているものを若者は選ぶ傾向があるようです。仕事の時間より、仕事以外の家族や自分の時間を大切にするのです。私たちの時代の仕事の活力となる家族の存在やプライベートの充実、仕事ができる環境を支えてくれた家族への感謝等という仕事のためが一義的だった時代とは異なります。私たち教員は、日々成長する子供たちと接する特異な職場です。子供たちの成長を見ていると楽しいし、もっとこう指導しようかと仕事のスキルアップのエネルギー源になります。仕事のやりがいや充実感は、日々の生活の生きている実感なのですが・・・。そんな教育界神話も価値観が異なった今、職業選択の決め手とはなりません・・・。子供たちのキャリア教育を担う学校に、明るい未来がなかったらいけないですよね。

校長室からの独り言35    見る、観る

画像1 画像1
 子供の作品は、物事を直感的に捉えています。家族を描きましょうと、お父さんやお母さんをよく見て描きなさいと言っても、1年生であれば、3分ともちません。よく見て描きなさいと言ったら、「うん分かった」と言いながら、一気に描ききります。全く見ている気配がないのに、なぜか似ているのが、幼児期から低中学年の絵の特徴です。迷いもない、勢いのある想像画と思いきや、なかなかの写実なのです。形や動きを端的に捉えるクロッキーの達人のように、子供たちは対象を捉えます。
 よく見てとは、形の再現ではなく、子供たちは目に見える色や形を通してその人を見ているのです。直感的にらしさを捉え、表現しているのです。もちもちした肌合いやがちっとした量感等、子供独自の感覚で捉え、その人らしさを形に表すことができます。だから、感覚的に対象と似ているのです。目で見るのではなく、心で観るといえば言い過ぎでしょうか。剣の達人、宮本武蔵の「五輪の書」に、「観」は表面上に見える現象などではなく、その奥に潜むものを観るとして、相手の心の動きなどを感じると書いています。まさに子供たちは、見ではなく“観の目”で見ているのです。子供たちの透き通った目は、目に見える形に惑わされず、心の目でものを観ているのでしょう。よく見ましょうが形だけ観ようとしてしまう大人の指導によって、いつからか、子供たちの“観の目”か“見の目”に代わらせていることを成長と勘違いしないようにしたいものです。
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
学校行事
3/21 給食最終日
3/22 修了式
富山市立大沢野小学校
〒939-2254
富山県富山市高内144
TEL:076-467-2288
FAX:076-467-2289