校長室からの独り言29 “笑い”の文化を
- 公開日
- 2021/07/12
- 更新日
- 2021/07/12
校長室から
子供たちのトラブルの多くは、悪ふざけから端を発している。しかし、そのちょっとした悪ふざけが加害者や被害者といういじめに発展する。「面白がってやっていたら、・・・」と、加害者は言う。「嫌だと言ったのに・・・」と、被害者は言う。割れ窓現象ではないが、悪ふざけの中にある、人を嘲笑することを笑いとする品のない笑い、低俗な文化が存在することを正さなければならない。小馬鹿にすることを楽しさと勘違いする笑いの文化を大人が先導する昨今の風潮も避けたいものです。荒れたクラスには、往々にして嘲笑に似た奇妙な笑いがあったり、意味のない笑いで物事をごまかしたりすることが多く、たちが悪い。
落語には、間の抜けた言動で失敗を繰り返す与太郎が登場するものがあります。与太郎は、様々な失敗で一騒動起こすが、お人好しで飾り気のない、正直者だからか、なぜか憎まれない。ユーモアの語源は、ヒューマニティーであるとも言われる。その人の人生観が思わず微笑ましく感じたり、泣けてくるけど笑えたりすると言うのである。与太郎が一生懸命に生きるその姿が、愛らしく滑稽なのです。“笑い”とは、人が一生懸命に生きるところに存在する文化なのである。教室の中には、たくさんのそんな“笑い”が存在します。それは、自然な形で生まれ、心温かくなるのです。教室は、子供たちが一生懸命に生きている大切な空間だかにこそ、そこに生まれるユーモアがあり、誰もが心地よくなる“笑い”が存在するのです。楽しい“笑い”のあるクラスは、子供たちが一生懸命に生きること、学習する結果としてできてくる温かい空間なのです。